私たちは地元山形県山辺町の塗り替えリフォーム専門店です。山辺町や山形市を拠点にお客様の笑顔が見られるよう、一生懸命塗装を行っています。小さな専門店で受注棟を競い合うような仕事はしていません。自社職人が一件一件丁寧に、かつ大切に塗装しております。
飛塚塗装店の会社情報です。
12才の時、醤油やに丁稚奉公(でっちぼうこう)に行く。(今ではその言葉さえ聞きなれない・・・)その時、足が冷えたのが原因で足を悪くしてしまう。その後仏壇屋(仏具塗り)に丁稚奉公に行く。(久次郎の塗りとの出会いである。)奉公から戻り塗屋として自分で仕事を始める。下駄塗、床の間の漆塗、タンス塗などを主に行っていた。そして戦争が始まり、久次郎は足が悪い為、兵隊として勤められなかったので、じょさんじょ(通称)で塗の親方として任務を務める。
昭和18年4月飛塚ケ人兄弟の6番目に次男(飛塚二男)誕生。(5才上の兄が居たが小学校4年生で病死)終戦後4~5名の職人とトモに塗屋再会、襖や建具塗りを始める。まじめで仕事一筋の初代久次郎の背中を見て育った二男は、16才の時仏壇屋に自らも奉公に出て塗りを学ぶ。二男の塗りとの出会いである。その後、久次郎の後を引き継ぎ二代目親方として仕事を始める。当時は建具塗りが主流でカシューや漆塗を行っていた。なかなか手間がかかる作業で、にわか(けものの皮、骨などを煮た液を固めたもの)を鍋で溶かし、貝の粉(ごふん)、松ぼこりを練ったもので下塗りし、あざふ(木で作った紙)でカシューをこしたもので上塗りしていたとの事。(材料・道具に現物が無くて残念です)時代の変化に伴い、新築の外部、内部の塗装を手がけるようになった為、昭和50年頃から建具塗りをやめ、一般建築塗装を中心に仕事を行うようになる。
昭和49年10月飛塚家三兄弟の3番目として長男(飛塚武)誕生。3番目の男の子だったので皆んなに可愛がられて育つ。昭和56年6月1日有限会社飛塚塗装店として会社を成立。二代目は妻(美智子)と共にペンキを塗る(当時は短パンで塗っていた!暑い日だったので・・・)職人たちと共に公共事業、新築、その他何でも塗れるペンキ屋になる。一方、武は幼稚園に入学。小学校では柔道、中学、高校では野球に励む。高校卒業後には、自衛隊員になる。そして父二男の背中を見て育った武は家業を継ぐことを決意。平成6年4月より有限会社飛塚塗装店に入社。先輩職人達と共に、毎日現場にて塗装を学ぶ。平成19年7月三代目親方として(武)代表取締役に就任。現在3人の父親でもある。
私たちは地元山辺町の「塗り替えリフォーム専門店」です。山辺町、山形市を拠点とし、お客様の笑顔が見られるよう一生懸命塗装を行っています。 小さな専門店なので、受注棟を競い合うような「住宅塗装」はしていません。自社職人が一件一件丁寧に、かつ大切に塗装しております。現代、様々な情報が飛び交い、良い物、悪い物の判別がつき難くなっています。私たちは山辺町で仕事を始めて約70年近く山辺の方々から支えられて仕事をして参りました。この町をこれからも美しく、住み良い町になるようお手伝いさせて頂きたいと思っています。
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